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私の30年間。

こんにちは。


あれだけ暖かかったことに浮かれていたら、寒くなるそうで…。

これが通常のですよね


お庭の水仙がようやく咲き始めました♪
DSC_2903.jpg

まだまだたくさん咲くので数輪を切って室内に飾りました

たったこれだけしか飾っていないのに、お部屋の中が水仙の香りで包まれています


お!今日は珍しくお昼間のお呼び出し。
DSC_2894.jpg

すずすずメロを呼んだようですが、ぼーっとして目線が全然違う方向(笑)

どうやら(いつもの通り)眠いようです…


12月14日、すずメロは30歳になりました!!

三十路…。。。

30歳なんてまだまだ先だと思っていました。

当然月日は待ってくれず、有無を言わさず次の世代にステップアップ・レベルアップしました


幼い頃は30歳といえばもっともっと大人だと思っていましたが、果たして自分はどうなんだか…。

思い描いていた30歳の女性とは懸け離れているような気がしてなりません

もっとステキな大人な女性になりたいものです。

すずメロの誕生日は結婚記念日でもあるので、今年も自宅でささやかに2人でお祝いをしました



生モノは控えているので、せっかくのお祝いですがメニューに困りました
うれしい困りごとですね…♡

お鮨は食べられないし、ローストビーフとかも半生みたいだし、スモークサーモンも生だし塩分強いし…

結局鶏肉メインで簡単な物を作って、こんな感じになりました!

IMAG3183.jpg

普段は和食でカロリー抑え目の食事が中心になっていることが多いので、たまにはこういうのが食べたくなります。

<メニュー>
・オムライス
・手羽先のさっぱり煮
・ブロッコリーとカリフラワーのガーリックサラダ
・枝豆
・きゅうりの塩昆布和え
・紅はるか入りポテトサラダ
・コンソメスープ

まるでのメニューみたいです

オムライスの卵だけすずメロ旦那が焼きました!
(少々敗破れちゃっているのもご愛嬌♪)

右側のオムライスはまだ卵を乗せる前です。
ポテトサラダは作ったのに一緒に撮るのを忘れました。。


すずメロ旦那が仕事帰りにホールケーキを買ってきてくれました
photocatケーキ2


この日をもって、すずメロは30歳、すずメロ旦那と結婚してから丸5年になりました

節目が重なってはいますが、今は赤ちゃんのためにいろいろと必要になるため無駄な出費はせず、

自分へのプレゼントもお互いのプレゼントもなし!


今年もこうやって一緒にお祝いができて、最高の一日になりました

おなかの赤ちゃんも一緒にお祝いできましたしね♪



さてさて、すずメロの0歳から数えて30歳までの30年間

30歳の記念に振り返ってみようかと思います。

(あくまでもこのブログはすずメロの個人的な日記というスタンスで書いております。
ここから、プライベートの中の書ける範囲で嫌なことも良いこともかなり長々と書いていきます。
新たな30代の生活を迎え、自分の過去を吹っ切るためでもあり、
ほとんどがすずメロと両親との関係の話になると思うので、興味のない方や嫌な方、苦手な方は遠慮なくスルーしてくださいね)


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私の30年間を一言で表すと「波乱」です。

小さい頃の生活も大人になってからの仕事もプライベートも。
30年間のうち、20年間くらいは家族に大きく左右された年月だったと思います。

幼い頃の記憶は端々にしか覚えていませんので、だいたい覚えているかなあと思うのは
小学1年生くらいから。

その20年の大部分は両親の夫婦問題、嫁姑問題、母娘問題にかき乱されていました。

楽しいこともいっぱいさせてくれたはずで、楽しい時も過ごしたはずですが、
これらで楽しい記憶が消されそうなのを必死で留めておこうとしている感じです。



物心付いた頃から夫婦喧嘩が絶えなかった実家。

毎日言い争う声を聞き、喧嘩のとばっちりを食らう私。

小学1・2年生の頃は、
イライラが募る母に「(母の運転する乗用車に乗っている最中)今来た電車に車ごと突っ込むよ?
どうすんの?はっきりして!!(←あんたが決めてよの意味)」と脅迫めいた発言をされたり、

(私が悪いこと、おそらく母の気に食わないことをしたのでしょうが、)
強要された土下座で泣きじゃくりながら謝る頭をおでこが床につくまで足で押さえられたり、
尖った鉛筆で太ももを刺されたり、出て行けと家の外に放り出されたり。

目を閉じれば、そういう光景が蘇ります。

小学2年生の終わり、
父の仕事の都合(急に引っ越すことになった。たしか父が仕事で何かをやらかした)で、
転校をして父実家で暮らすことになったはいいけど、

ここで嫁姑問題勃発。

子供にはわからないので母味方の私は、母が仕事でいない日中に祖母が言った母の悪口を
告げ口すると、結局私が悪い・嘘をついているとなる結末。

小学4年生になった頃に、一年間いた父実家を出ることになりました。

父は転職続きで仕事が長続きせず、次の引越し先(父実家から徒歩10分の距離)でも夫婦喧嘩の毎日。

ヒステリックな母の言動に対してDV気味の父。

これが始まると母は父実家(もちろん祖母ではなく、理解力のある祖父に)に電話をして、

気が付けばいつも祖父が仲裁にやって来て夜中までいた記憶があります。

小学4~5年生頃はちょうど私に小児心身症の症状が現れていた時期です。
(→詳細はこちらに書いています)


誰も直接的に私に手を差し伸べてくれる大人はいませんでした。

家庭内別居や実家別居、離婚話などになっても、結局は子供のせいでできないみたいなことを言われていました。


家庭の事情なんて友達にも先生にも言えません。

家から離れている時間は家庭のことを忘れて過ごし、家ではひとり(私は一人っ子)でじっと耐えていました。

声に出さない唯一のSOSとして出ていた小児心身症の症状についてもその頃は完全にスルーされていました。


中学生になり学校生活が変わり、部活に試合にと自分が忙しくなったおかげなのか、
自分が少し成長したおかげなのか、心身症の症状は消えました。(それ以降もありませんでした)

家庭の中は相変わらずでしたが、大きくなって知恵も身に付いて見て見ぬフリが出来るようになったんだと思います。

反抗期もありましたが、ヒステリー傾向の母を逆なでしないようにうまく取り繕っていました。


高校へ進学し、その頃になると一旦夫婦間の問題は落ち着いていました。

私の受験時に一時家族間でもめましたが、事なきを得て大学へ進学が決定。

そんな頃、私が他県へ行く直前に父方祖父から呼び出されて父実家へ向かいました。
(両親はナイショにするように言われました)

祖父が「○○ちゃんには(父母のせいで)ずっとかわいそうな思いをさせてきてごめんね。」と言われました。

祖父は私の気持ちをわかってくれていたようでした。
だから両親に代わって謝られてしまいました。

本当は当時に私を救いたかったんだとは思います。
両親の喧嘩を止めることの方が先決だったので致し方なかったというような感じでした。

正直なところ、もっと早く私を救ってほしかったです。

ようやく理解を示してくれる人がいたんだという安堵感もありその場では納得しましたが、
なぜ祖父が代わりに謝っているのか…。

反対に祖父になんだか申し訳ない気持ちでした。


そんなこんなで、一人暮らしが始まりました。


家から離れてはじめての自由な生活。

学校生活も国家試験合格に向けて一生懸命取り組み、バイトも出来る範囲で頑張りました。

両親と顔を合わせる回数が減ったおかげで、家庭から来るストレスは解消されていました。
たまに実家へ戻るくらいでちょうどよかった。

父方、母方の祖父母から、実家の夫婦関係が徐々に改善されてきていると聞き、

大学時代は家族関係はまあまあ穏やかだったように思います。


その間に唯一理解を示してくれていた父方の祖父が亡くなりました。

病気だった上、手術もしていたことを、葬儀の日まで誰も教えてくれていませんでした…。

知っていればもっと会いに行くことだってできたのに。。


あっという間に大学を卒業し、就職のため大阪へ。

就職から3ヶ月、すずメロ旦那と出会いお付き合いを始めました。
(⇒それから結婚にいたるまでの詳細はこちら)

両親は私が30歳くらいまでは結婚しないだろう(私の恋愛経験が少ないからという理解不能な理由)
勝手に考えていたようなので、

24~25歳で結婚すると言い出したから、自分たちの思い描いたレールと違うということでパニックになったんでしょうね。


結局また両親によって生活がかき乱され、両親だけでなく親戚からも理解されず
またしても家族の中で誰も応援してくれる人や賛同してくれる人、手を差し伸べてくれる人はいませんでした。


でもあの時とは違って、大人になっていたので
(納得するまで少々時間はかかりましたが)こっちもある程度の覚悟は出来ていました。

母はヒステリー傾向と何度か書きましたが、すずメロ旦那との交際に関して、

「あんたらを殺しに行く。」だの
「私はなんのために今まで頑張ってきたのか。」だの、
「私があんたが小さい時から今までしてあげてきたことが形に残らない(=要は自分の思い通りにいかなくなった)からお金で払ってよ。」だの
(実際に結婚するまで、月給の半分くらい払わされていました)
と言われました。

それ本当なの?と思う方もいるかもしれませんが、実際に言われた本当のことなのです。


恐喝もいいところです。

ただの口約束なだけで裁判所を通したような正式な物ではないですが、
意味合い的には慰謝料のようなものまで請求されていました。

合計で数百万円を払わされました。

この母親だから断れば次に何をしでかすかわかりません。。

そんな恐怖がいつまでも付きまといました。



父親もある時期までは私たちのことを理解してくれようとしていましたが、
いつの間にか共闘して母と同じように猛烈に反対し始めました。

いつだかの時の夫婦喧嘩をしていた関係とはまるで真逆です。

こんなところで一緒の意見になるとは…。

父方の祖父が生きていたら、もうちょっと両親を説得する側にまわってくれただろうになあと考えることもありました。


慰謝料を請求したいのはこっちです。幼い頃の私の生活を思い出すと。

おかげで私が将来のためにとコツコツと貯めてきた貯金は底を付きました。

今では手切れ金や出してもらった学費の返済に充てたと無理矢理にでも思うようにしています。
そうでもしないと私の気持ちはおさまりせん。
大学時代に借りた奨学金もきちんと自分で返しています。

いくら親子間での金銭関係と言っても、たった一度でも
こういう事情でお金がからんだ関係になるとこじれる一方です。


実家の鍵も返しましたし、もちろん実家には行かないので、
今地元に住んでいる小~高校生の時の友人と疎遠になりました。

LINEもやっていません。

唯一やっているFacebook上でのみつながっている感じです。
実際に会うことはなくなりました。


両親から絶縁を突き付けられて会わなくなってからもう数年。


一度だけ職場に勝手に会いに来たことがありました。
あまりに不意すぎて、周囲の状況もあり断れませんでした。

不謹慎にも親戚の誰かが亡くなったとか(絶縁しているならそんな情報伝える必要ないですけど)と思ったら、
従姉妹が結婚して近々子供が生まれるから見に来ないかということでした。

私はその事に関して別筋から情報を得ていましたし、それを口実に実家に一度来てほしいという
ニュアンスに取れたので、真っ向から断りました。

おまけで当初住んでいたところから現在の自宅に引越しをして自分たちの持ち家があることを告げると
急におとなしくなりました。

私たちにも非はありましたが、もめている最中に誠心誠意をみせろだの言っておきながら、
そんな方法でやすやすと私たちが実家に行くとでも思ったのでしょうか?

どっちから絶縁を言い放ったのだか。


正直、呆れました。


私たちの結婚(その頃でもう結婚してから2年くらい経過)に対する本気度を垣間見て、ちょっとびっくりしていたようでした。

申し訳ないですが…今さらかよ、ざまーみろくらいに思いました。


当たり前ですが引越し先の住所は教えていませんし、電話もメールも一切の連絡はできないようにしています。
(あの人たちのことだから、まだ私たちに嫌がらせをする元気があれば詮索しだすのでしょうけど…)


私の幸せを邪魔しないでほしいです。もし後悔していたとしても、気が付くのが遅すぎです。

両親が世間体や体裁を重んじる(いろいろ間違っていましたけどね)せいか、
パッと見では仲のよい家庭・家族というふうに周りからはよく見られていました。

それが今はどうでしょうか。

周りの友人や知り合いたちが孫の誕生や成長、実家に遊びに来ることを楽しみに生活できる喜びを、
あの人たちは自ら絶ったのですから。


両親のお望み通りに私との関係がなくなって、喜ぶなら喜べばいいし、苦しむなら苦しめばいい。

もう私の知ったことではありません。




両親が従姉妹のことでやって来た職場は私の異動先で、ここでも本当にいろいろありました。

頭カチカチのわからずや上司、われ関せず&故意に業務規定違反続出のエロ上司、
一人業務による過剰な勤務時間…

体も心も壊れる前に22歳から勤めた仕事を28歳で辞めました。

あれこれ重なって不妊の原因にもなっていました。


結婚から5年目、29歳でようやく妊娠することができました。

嫁ぎ先の血が混ざった孫なんか見たくないとあの時言い放たれた言葉は一生忘れることはないでしょう。


振り返れば本当にいろいろあった30年間でした。


30代になり、初めの大仕事は出産です。

自分も子供を生めば親の気持ちがわかるとかよく聞きますが、
育てる大変さや両親のありがたさを共感して感謝できたとしても、私が散々にされてきたことはしないと思います。

子供には同じ思いを絶対にさせたくありません。

むしろ、反面教師です。

(今のところ)すずメロ家の夫婦関係は良好すぎるくらい良好です♪

よっぽどのことがない限り、崩れることはないと思います。


子供が大きくなって私の両親について聞かれたらと思うと、今は答えが出せませんが、

いつかちゃんと説明してあげようと思います。

そこで私の両親に会いたいと言ったら、それはそれで考えます。


またいろいろな変化があるであろう、新たな30代からの生活をめいっぱい楽しみたいと思います!





30年間の振り返りの最後に…


私が大学生の頃、母の実家へ遊びに行った帰りの車中、他愛もない会話で何気なく言われた言葉。




「あんたが相手のためを想って家事やお世話をやってあげたいなと心底思える人と結婚しなさいね。」





大嫌いな親から言われた言葉でも、それだけは忠実に守ってすずメロ旦那と結婚しました。


私は毎日幸せに暮らしています。


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